地獄の話 2

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地獄の話を以前したけど、これは誰が決めるのだろうかをもう少し考えたい。

「良いこと」と「悪いこと」は文化によって違ってくるし

誰が公平に決められるのだろうか。

これは客観的には決められないと思う。

となると、「自分自身が少しでも悪いと感じる」

これが妥当になる。

極悪人というのも善悪を理解しているからこそ悪いことが出来る。

後はどの程度なのだろうか。

人を殺す罪と、牛を殺す罪、

どちらが重いのだろうか。

罪の重さというのも結局は主観的にしか決められないと思う。

牛より人間が大切だと感じられれば、人間を殺す罪の方が重い。

となり、最終的には、人を裁くのは本人ということに行き着く。

むしろ、本人しか裁くことが出来ない。

では、地獄への計算式はどうなるのだろうか。

if(((主観的に善悪かの判断、0…善・1…悪)×主観的にみた罪の重さ)+… ≧ 地獄へ行ける罪の量){goto 地獄}

つまりこうなると。

では右辺の「地獄へ行ける罪の量」

これは誰が考えるのだろうか。

これもまた、今までの理由で結局は自分になると思う。

誰も蟻一匹踏み殺して地獄に落ちるとは思っていないだろう。

ここで言いたいのは、地獄があると仮定した場合、

自分が地獄に行かないと思えば地獄に行くことはないのである。

「地獄へ行ける罪の量」を増やせばよいのだから。

となると、主観的もありえない。

ここで、もう一つ考えたのだが、最新の社会情勢と文化、生物の生態、生き様などを全て把握した人なら、

公平に裁くことが出来るのではないか。

では、この把握はどうすればよいのか。

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